ある本に出会いました。
高校時代からお世話になっていた国語の先生から薦められた本です。
私は「これいいよ」と言われた本は必ず買うようにしています。
理由は2つ。
自分で選んだ本でもなかなかヒットしない中で身近な誰かがヒットしたわけだから間違いないだろうという安易な考え。
薦めた人間がどんな本を読んでいるのか知ることでその人の考えをわかるかもしれないということ。
そんな理由でないとジャンルが違う本なんて手にすることはありませんから。
「イチオシBook」に掲載したものもありますが今回は久しぶりの大ヒットでした。
『「言語技術」が日本のサッカーを変える』田嶋幸三著
サッカーの本なんて手にすることはありませんでしたが読んでみて仰天。
前書きに、ヨーロッパの選手が試合中に退場が一人出て10人になったときに残された選手はベンチを一度とみること無く自分たちで考えて試合を再開したということがありました。
ヨーロッパの選手は学校やサッカースクールで自分の意見を相手に伝える「言語技術」を習得します。
日本の選手はサッカーに限らず指示を待ちます。
野球はもちろんサインプレーがありますが作戦を実行するのは自分の判断ですし、そもそもサインが出るのは試合の中でもほんの一瞬。
ほとんどが自分で判断しなくてはなりません。
振るか、振らないか。 走るか、止まるか。
そんな簡単なことだけではありません。
バッテリー間の18.44メートルの間に1試合で300回近い決断があります。
しかし、「なんで振らないんだ」の問いに選手は「はい」
「その球は甘かっただろ」に「はい」
「わかってんのか?」に「はい」
家に帰れば母親から「今日はどうだったの?」に「微妙~」
「早く勉強しなさい」に「うざい」
こんな状態の子供じみた選手が9人集まっても強豪校にかなうわけありません。
昨今、若者のコミュニケーション不足が問題視されています。
もちろん我が野球部も例外ではありません。
この本では寄宿舎生活の中で「言語技術」を鍛えるプログラムを組まれています。
その中で中学生たちはエリートとして教育を受けます。
目指している「大人な考えを持つ集団」はそういうことで育っていくのでしょう。
「勉強ができる」ことが武器ですがテストの点数が良いだけでは何の意味もありません。
それよりも今までの傾向を見ると「会話できる」選手が伸びています。
話せる選手を磨いていけばもっと伸びていきそうです。
また、話せる選手を増やしていけばチームは「大人な考えを持つ集団」に近づくでしょうしエリート意識も芽生えるのでは無いかと思いました。
今まで自然発生的にミーティングなどでコミュニケーションを鍛えていましたが、改めて勉強をし直して「言語技術」を鍛えていこうと思います。
何より私のミーティングで話すこともわかりにくいし、「えー」「あー」も多いし、話が良く飛ぶし、結論を言う前に次に行くしと滅裂なわけです。
「難しい監督」「何を考えているかわからん」など選手の印象もあるでしょう。
自分も鍛え直して会話できる監督になろうと思いました。
2015年11月19日木曜日
2015年11月2日月曜日
日本選手権
毎年、見に行ってます。
毎年、目の前で大学後輩の柳田選手は良い場面で打ちます。
今年も打ちました。
今日は月曜日ということもあってたくさんの高校生が見学に来ていました。
本物の一発勝負は勉強になります。
今年は走塁と配球を中心に見てみました。
結論はどちらもシンプルでした。
配球は後輩の社会人選手が言っていたことですが「余計な球は投げない」らしいです。
今日はホンダとパナソニックの投手戦でしたがどにらも本当に無駄が無い。
高校生はキャッチャーがいかに無駄な球を投げさしているか。
もっとシンプルにやらせたいものです。
とは言え社会人レベルでは「駆け引き」がプラスされますからそこに野球人としての嗅覚が必要になるのですね。
投球間のピッチャーとバッターの所作に駆け引きが現れるのが見れるのが社会人野球の醍醐味ではないでしょうか。
今日は1人だったのでスッと席に座ったのですが目の前に座っていたのが大阪の某有名高校の監督でした。
通る人通る人挨拶をされていました。
少し悔しい気持ちもありましたが何か盗めないかと思いしばらく我慢して座っていました。
いつかはその位置の監督になれるように今はただひたすらに勉強あるのみ。
2015年11月1日日曜日
清和会とハローウィン
久しぶりの投稿です。
立命館高校にはOBOGが集まる清和会というものがあります。
清和会は伝統ある立命館にとってはなくてはならない大きな組織です。
野球部のOB会とは比べものにならないくらいの規模です。
毎年この時期にウエスティン都ホテルで総会が行われますが、私は教員としても清和会員としても出席しています。
今年は総会の前に「どんだけー!」のIKKOさんの講演があるなど著名人も来られる規模のものです。
私はいつも懇親会だけ出席しますが人の多さに立命館の伝統も規模の大きさにいつも圧倒されます。
同級生は毎年そんなに多く出席しませんが仕事の関係で出てくる人が多いようです。
今年は同期の野球部の一人と会が終わってから2人で飲み直しに行きました。
毎日野球漬けの私にとってみると学生のときに歩き回った木屋町が懐かしく感じながら歩いていましたが、、
どーしても気になることがあります。
清和会に行く前から地下鉄でも気づいていました。
仮装した人々。
今日はハローウィンなんですね。
けど私は、口が裂けたメイクやゾンビのメイクをした女性、着ぐるみを着た男性やバニーガールを見て正直呆れてしまいました。
日本大丈夫か??
けどその後行った先輩のお店で「我々の考えが古すぎるんだ」と言われて自分が「最近の若いもんは」というオッサンくさい事を言いそうになっていたことに気づきました。
時代は常に進んでいるんだ。
当たり前のことで受け入れられていない自分に恥ずかしく思いながら「ハッピーハローウィン」という言葉を聞き流して木屋町を後にしました。
時代の先を行く高校生の先に立たないと。
明日は仮装してグランドに出るか。。。
それはまた違うなと感じながら電車に揺られています。
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